プロフィール

出身地

北海道中川郡池田町で生れ育ちました。

池田町は、十勝ワイン(城)とドリカムの吉田美和さんの出身地として有名ですが、最近ではスケートの長島圭一郎選手やセイコーマートの社長の出身地としても知られています。

昭和50年頃は、人口1.2万人を超え観光地としても知られ、畑作や酪農が盛んで、とても活気のある町でした。

学生時代

両親が共働きでしたので、小学生の頃からずっと鍵っ子でした。
父も母も一生懸命働く人で、その姿を見ていたせいか、周りにいた同級生より人一倍働くことに興味があったように思います。

小学5年生から4年間ほど新聞配達を行いながら、土・日曜日には数キロ離れた山奥まで入って、山ぶどうを買い物袋5~6袋をいっぱいにして、ワイン城に売りに行っていました。

中高生時は、週末になると朝早くから農家に※出面(でめん)に行き、小豆・大黄・ビート・イモなどの農作業を行い、大人と同じ日当を頂き、とても嬉しかったことを思い出します。

また、この時期は成長期でもあり肉体作りに大いに役立ったことや、同じ作業をコツコツと行うことで忍耐力や集中力も付きました。さらに、畑作に携わったことで、生産者の思いや食べ物のありがたさを知ることができましたその後の私の食人生にとって良い経験をしたと思っています。

現在、我が家の3人の子供たちには「好き嫌いしない!」「残さず食べる!」「いただきます!」など、食事に関しては厳しく躾けています。たまに「ウザッ!」と言われますが、決して負けません。

と言うわけで、私の学生時代は、町民への情報伝達と十勝の畑作の発展のために大いに貢献したのであります。

※北海道で日雇い労働者の意味

社会人時代

昭和63年に公務員となり、社会保険庁に入庁しました。

札幌勤務を命ぜられ、右も左も分からない田舎者の私にはとても刺激的な街でした。

話しは少し戻りますが、小学生の頃、学校に保険証を持って行かなければならない事があり、その時、周りの同級生の保険証とは色が違っていました。その当時、なぜか解りませんが「これはきっと大人になったら解るさっ!」と思っていました。そんなことを思っていた私が、まさかその保険証を扱う仕事に就くとは思ってもみませんでした。自分でもビックリです。

その様な昔のことを思い出し、社会人として公務員生活をスタートしました。

公務員生活23年間の中で7回の転勤をしました。そのほとんどは、札幌市内の異動でしたが、2ヶ所(釧路市美原と苫小牧住吉町)は、単身赴任をしていました。

私には、上の息子と男女の双子の3人の子供がいます。ある時、幼稚園の年中さんだった上の息子に「お父さんの仕事で幼稚園を変わることもあるんだよ」と、何となく転勤の話をした時のこと、息子は泣きながら「仲の良い友達とは離れたくない!」と、顔を真っ赤にしながら私に訴え続けていました。私は、そんな息子の気持ちを大切にしたいと思い、双子が生まれたその年に妻の実家の近くに定住することを決めました。

しかし、その翌年の4月に案の定、釧路転勤を命ぜられました。

単身赴任を覚悟のうえ戸建を購入したものの、やはり単身はイヤダとの思いから、妻と上の息子を説得しましたが、あっさりと「単身赴任いってらっしゃい!」と軽いものでした。ガックリ!

まだ生後10ヶ月の双子ちゃんを残して単身赴任だなんて「なんて不幸なんだっ!」と思いながら泣く泣く赴任しました。

釧路の4月は、海霧(じり)が多く常に除湿器3台をフル稼働していても、衣類(スーツ)や電化製品、家のいたる所がカビだらけに…。また、久しぶりの一人暮らしで気持ちまで落ち込んでしまいました(5月病?)。そんなことで、「そうだ!かわいい双子ちゃんに会いに行こう!」と思い、ほぼ毎週5時間かけて車で帰っていました。若かったですネ。

そんなお父さんの気持ちも知らず下の息子は、毎週週末の夜にやって来る「知らない変なおじさん」に驚き、鼻水を垂らしお母さんにしがみつきながら泣いていました。しかし女の子はやはり違います。娘はいつもニコニコ迎えてくれ「帰ってきて良かったな、家族はいいな!」と思わせてくれ、パワーを貰っていました。

このような生活が一年ほど続き、次の赴任地の苫小牧市に異動することとなりました。苫小牧もジメジメ天気が多いですが、札幌からほど良い距離にあり、いつでも子供達に会えることもあり、仕事もとても楽しく、充実した日々を過ごせたことを思い出します。

転機、そして独立へ

平成22年12月、社会保険庁が解体となり、日本年金機構に採用されることになりました。

気持ちも新たに仕事に励みました。
しかし、多くの信頼の置ける先輩たちが次々と退職していき、ふと気が付くと私の周りには、相談や冗談が言える同世代の仲間がほとんど居なくなっていました。
そして新組織になったことにより正職員の減少による業務のしわ寄せや、新規採用や後輩の指導・育成をはじめ、様々な役割が求められることが多くなりました。
また、世間からのバッシングなども収まることも無く、仕事に対する姿勢、やりがい、自身の将来、家族のことなど自らに問いかける日々が続きました。

 

ちょうどこの頃、母が亡くなりました。母は父の遺族年金を受けていましたが、足が悪いうえ自動車の運転もできないため、年金の手続で何度も帯広まで行くことが大変だったことを生前こぼしていました。

札幌で暮らす私は、年金の仕事をしているにも関わらず何もしてあげられなかったことと、母の最期もみとれず悔しい気持ちもあり

「母と同じような方はたくさんいるのではないか?」

「同じように困っている人の役に立てないだろうか?」

そんな思いが日増しに強くなっていきました。

 

家族には迷惑をかけることは充分に理解していましたが、一度きりの自分の人生、悔いの無いように駆け抜けたいと思い、以前からの夢であった

 

「社会保険労務士として独立する!」
と妻に宣言しました。
(実はまだこの時、私は社会保険労務士の資格を有していませんでした。)


妻はそのことを薄々気づいていたらしく、いつ切り出されるかドキドキしていたそうですが、

「一緒に頑張ろう!」
と私の背中を押してくれました。
そして、その後も私や子供達、家計など我が家を一生懸命支えてくれたこと、今でもとても感謝しております。

社労士として

それからというもの、約3ヶ月間は土曜・日曜も子供達とは遊ぶこともなく、図書館でがむしゃらに勉強に励みました。

そしてついに合格発表の日2011年11月11日、一並びの何となく嬉しくなるようなこの日、恐る恐るパソコンで社会保険労務士試験合格者名簿を見ると、そこには私の受験番号がありました。

私と妻は、思わず大声で叫びながら抱き合って喜んだあの日、一生忘れることはないでしょう。

また、一世一代の挑戦を応援してくれた妻、子供達、元上司・同僚、亡くなった父母や親族をはじめ、今まで関わった方々に感謝しながら、これまで社会保険行政で培った知識と経験を生かし、お客様に「解りやすく、寄り添って」をモットーに、札幌を中心に社会保険労務士として頑張って参りたいと日々、思っております。

 
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